好きなことを追いかけ、流れるまま陶芸家になった久佳さんです。
●伊藤久佳さん、50代、子供2人、陶芸家(夫)の手伝い⇒陶芸家として独立
好きな言葉; 媚びない。群れない。属さない。 そして、やめない。あきらめない。
学生の頃からパワフルな久佳さん。
よくしゃべり、異空間ワールドなオーラを持った人だ。
33年ぶりに再会したら、なんと『陶芸家』になってた!!
なぜ~?
——–目 次—————————-
1. 旅とメキシコ
2. 守るものができた
※ 以下、次回に続きます
3. 陶芸家の妻
4. 夫が倒れた!
5. 新しい生活
6. 創るということ
7. プラスマイナス0
8. 子供へのメッセージ
9. 久佳さんの強み
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1. 旅とメキシコ
久佳さんを語るには、旅は欠かせない。
高校を卒業し、ひとり旅を始めた。
自分の殻を脱ぎ捨て、人と知り合う楽しさ
旅に出て外向きになった、怖いもの無しだ~(^O^)/
旅は日本から海外へ
バックパッカーの走りみたく、米国やメキシコを廻った。
文化人類学に興味があり、メキシコの田舎に足を延ばした。
インディアンや土着の文化を見たかった。
日本人の絵描きさんと知り合う。
家に招待され、彼らが話す文化や芸術、焼き物の話に夢中になった。
遺跡の取材旅行にも同行した。
自由なひとり旅、メキシコの田舎で何日も過ごした。
素朴な町、キラキラした空気、文化的な話題、あこがれの世界だ。
絵描きさん家で修行中の、陶芸家の卵と知り合う。
恋に落ちるのは早かった。
このままメキシコに住みたい!!
「芸術家の卵とメキシコで一緒に暮らす」に、日本の親は反対した。
「せめて大学を卒業して、学芸員と教職の資格を取れ!」
やむなく帰国し、届くのに2週間かかるエアメールを毎日送る。
障害があると、いっそう燃えるのよね(^-^;
同級生が就活してるとき、必死で親を説得した。
すったもんだがあり、最後に
「止めることができるなら、どんなことしても止める。
でも引き留めて幸せになる確証もない。
どうなるかわからへん。しょうがないなぁ~」と言ってくれた。
立派なご両親だ、なかなか出来ない。。。
先方一家に喜んで迎えられた。
メキシコで新婚生活が始まった。
面白かった~、キラキラしたあこがれの世界そのままだ\(^o^)/
『屋根運がある♪』ため、住むとこに困らなかった。
引っ越しを考えたら、窯もある、ただで住むとこが見つかった。
簡単な仕事付きだ。
留守のドイツ人家主の代わりに、農園の使用人(庭師や家政婦に)給料を支払う仕事だ。
家主曰く「メキシコ人は信用できないが、日本人ならOK」なんだって(^_^;)
次は近所の農園(ランチョ)だ。
焼き物工場があり、日本の技術を取り入れるため招かれた。
奥様の話し相手もした。
優遇された。
嘘みたいだが、メキシコと久佳さんならありかな~
2. 守るものができた
メキシコで子供が生まれた。
ずっとメキシコに居たかったが、
サソリいる! タランチュラ出る!! コレラ流行る!!! の現実に気づく。
自分以外に守るものがいる!!
子供はサソリに刺されると死ぬ。
そこら中にいるので、『石垣に絶対もたれるな! 虫に気を付けろ!!』と何度も言い聞かせた。
ある時コレラが流行った。
近所の子供が川遊びをするのに、感染が怖くて『入ったらダメ!!』と言った。
過剰に心配するのは、生まれてすぐ赤痢にかかったからだ。
血便が出る>_<
多分、メキシコの病院の産湯が汚かったからだ、と日本人医師に言われた。
日本では25年前でも考えられないだろう。
心配で相談したが、現地の母親たちは
「たくさん産んで1~2人は病気で亡くす」ことに慣れていた。
感覚が違う!!
衝撃だった。
大好きなメキシコでも、子供は守りたかった。
たくさん産んで~とは、どうしても思えなかった。
学校も同じ。
先生が生徒にマリファナを売る、みたいな噂も聞く。
みんなと同じだと、そこに通うことになる。
住めない!
みんなと同じに出来ない。
私たちはメキシコの田舎に住む資格がないと思った。
子供が出来て、初めて壁にぶち当たった。
次回に続きます。